【無定期連載書評】
『「ことばの市民」になる』とは — 自由の顕現にむけて

谷岡ケイ(ケイ商店)

細川英雄(2012)『「ことばの市民」になる―言語文化教育学の思想と実践』ココ出版.

もくじ

1.第1部 言語教育は何をめざすか

1.3.第3章 日本語教育学のめざすもの ― 教育パラダイム転換とその意味
+【論点1】「学習者主体」とは何か ― 日本語教育における教育概念の推移とその意味

1.3.1.スパルタクスの乱

第3章に来ていよいよ第1部「日本語教育は何をめざすか」についての本題に入る。

この章は“日本語教育は,諸学の奴隷から解放され,ここに「学」として自律する”という高らかな宣言だ。まさに細川英雄は,英雄スパルタクス[1]としてここに正義の戦いを繰り広げる決意を示すのであります(感動)。これまでの日本語教育を,目的主義・応用主義という視点から,自虐的心性として断罪し,そうした心性は,準備主義という近代精神の抱える巨大な問題を無批判に受け入れてきたことから来ると指摘する。その上で,この奴隷状態から解放されるための日本語教育・および日本語教育学は,「学習者主体」の思想によって実現されるとキッパリ提案。

この「学習者主体」は続く【論点1】で詳説されるが,半分しか述べられていない。というのも,この第3章をまとまりをもって解釈するためには,「学習者主体」と呼ぶときの学習者とは以下の2つの意味を含んでる必要があるからだ。ひとつは,日本語教育における学習者,つまり日本語学習者だが,いまひとつに,日本語教育学における学習者,つまり日本語教育従事者(とその志望者)がある。

つまりつまり本章と論点1は,自律した日本語教育学の実現のためには,日本語教育に参与する者は教師であれ誰であれ皆すべからく学習者として主体たるべし,という,まさに副題のとおり「教育パラダイム転換」を説くものである[2]。が,あまりにその内容は重く広いため,この字数ではその意味が充分に理解できるだけの説明にはなっていないように思えます。そこで本書評では,この第3章および論点1を,目的主義&応用主義,準備主義,学習者主体の順を追って徹底詳察することで,細川が描いた日本語教育の過去と未来を存分に堪能し,スパルタクス英雄(誰?)がめざす日本語教育学の神髄に接近してみよう。

ちゅう

1.3.2.応用主義&目的主義とは(1)―研究について

応用主義批判の骨子は,「何事にも基礎があり,その応用がある」という思考から導かれるふたつの心性への反対である。ひとつは研究について,ひとつは学習について。

では研究についての応用主義批判から。つまり,研究においては,まずそれ自身が研究対象となる基礎諸学があり,次にそれら基礎諸学の成果を利用する応用諸学がある,という研究観をとると,日本語教育を基礎諸学に隷属する存在とみなす心性に犯されるという指摘[3]。それを象徴するのが,国語学の日本語教育への無批判な利用。たとえば「‐テ形」という境界が,なぜその教場で現れねばならないのかについて,考察も理由もなく,ただただいかにその境界を教場で利用できるかに腐心する志向へと向かっていってしまう。

さらに日本語教育でタチが悪いのは,その隷属的服従先が,国語学のような基礎諸学どころか,市場や惰性や迷信といったヨクワカラナイものにさえ向けられているという点だとして,これを「目的主義」として批判する。つまり,日本語教育はその目的を,たえず日本語教育以外のほかの目的の達成(○○研究のため,ビジネスのため,アニメのため…)に置いてきた,と。そしてこれらほかの目的を目的とする根拠は,学習者のニーズであった[5]

ここには教育者‐学習者間で立場の転倒がある。すでに世界をあまねく知りつくしているが唯一日本語でのビジネスだけを知らない学習者が,その全能性を根拠にビジネスの日本語を学習させるよう迫る。対して,唯一ビジネスの日本語だけを知っている教師は,その無能性を根拠に学習者の要請に完全に応じるしかないとそれを教育する。こうして日本語教育従事者は「お手伝い」という隷属精神に完全に支配されるに至る[6]

これでは完全に「奴隷道徳」の世界ではないか。見てきたように,細川はすでにこれまでの研究・実践を通じて,日本語教育の目的は,その社会で十全に暮らせるようになることを目指すしかないなという感覚を得ていた。つまり,その学習を通じてこれまでの自己を超えて生きる意志をはぐくむ,まさにニーチェよろしく「力への意志」へと向かいだしてた細川にとって,こんな世界はたまったもんじゃない。「君主道徳」へ,そして「超人」へと向かうしかない[4]。では教育・学習において,いかにこの奴隷道徳から脱する道があるというのか。この考察が,次の,学習における応用主義・目的主義批判である。

ちゅう

1.3.3.応用主義&目的主義とは(2)―学習について

ここで応用主義として批判される学習観とは,まず基礎項目の習得があり,その積み上げによって応用ができるようになり,そして終着する,というもの。この,基礎から応用へ,という発想は,ものすごくフツーな感じに思えるが,実はそうでもない。

普通,基礎と呼ばれるものは,他にくらべて頻度が圧倒的に高かったり,構造や運動が単純であったり,例外が少なく法則的であったりするもので,その結果として,習得過程において多くはその初期にある程度の獲得が観察できるものを指す。そこから逆に考えて,よく出てきて単純できっちりしたものを最初に学ぶのが効率的だとみなすなら,いわゆる基礎からの「積み上げ学習」になる。しかし,そんな学習が実際にあるのだろうか。

たとえば,ロングトーンにスケールとアルペジオは確かに基礎だが,各調を積み重ねていけばものすごいエスプレッシボですばらしいヴィルトゥオージティが達成できます,そんなメソッドはないだろう(いや,ある意味ある。実際名演奏者はアホみたいに毎日基礎練を欠かさない。が当然,そのconverse:逆は必ずしも真ではない)。四股に腰割りテッポウぶつかりは確かに基礎だが,それを10回100回1000回と積み重ねれば関取になれます,そんな稽古はないだろう(いや,ある意味ある。実際荒汐部屋だと,新弟子には,数ヶ月~数十ヶ月ものかなり長い期間相撲は取らさず,四股腰割りテッポウぶつかりだけをさせてる。申し合いや三番稽古を怪我なくできるようになるまでの体を作りつつ,兄弟子の稽古を見て体の使い方を覚え,稽古したい!という気が爆発しそうになってようやく稽古となる,そんな感じ。ただ第二言語学習においては第一言語のある限り,この稽古前段階はすでに修了している相撲部上がりと同様だろう。そこから先は基礎としての四股ではなく,すべてとしての四股となっている。言語学習の四股とは何でしょか)。

あるいは先にもあげた機械学習なら,よく困っちゃうことに,局所解への落ち込み,いわゆる過学習・過剰適合の問題がある。キレイなデータばかり与えていると,それ自体は覚えるのだが,見たことのないものについてはチンプンカンプンになってしまったり,ちょっと混ざったノイズまでやたら丁寧に覚えてしまったりする。いわばヘンなところに固執して抜け出せなくなってしまう。これを防ぐためのテクの開発こそ機械学習研究のキモのひとつだが,その中の考え方の一つにノイズをもっと与えちゃうというものがある。学習機械にもっともっとノイズを与えれば,あれ?こうかな,あぁかな,とあっちにこっちに考えさせ続けるようにできるから,ヘンな固執から抜け出させられる。あるいは,大きな特徴ばかりに気をとられてて,実はもっと大事な,小さな特徴に気づけないでいるような場合は,わざとデータにノイズを与えることで,小さな特徴をノイズごと大きくして気づける大きさにする「Stochastic Resonance:確率共鳴」って方法もある。実際これを使っては,たとえばコオロギの尾葉の気流感覚毛は,熱雑音を利用することで,光子1発の100分の1レベルの動きを感知できるまでの感度をもつという(下澤楯夫の一連の研究など)。さらに身近な例で言うと,普段なら声が小さくて「・ん・ち・」としか聞こえないような場合でも,地下鉄車内の中なら轟音に乗っかって「ゴんヂちバ」と聞こえてきて「こんにちは」だとわかるようになる,そんな話。

これら,学習においては実は,何が有用な信号で何が無用な雑音なのか,言い換えれば,生体にとって何が単純な基礎に値するものなのか(さらにはそれを線形に加算していけるのかどうか)という問題は,一筋縄では言い切れない問題だとわかる。ましてや言語学が開発した分析手法による境界が,どうしてその目の前の学習者にも有用なのかなど,いったい何が担保してくれるのだろうか。あえて言おう,それはただ「信念」であると。

1.3.4.野元菊雄という信念(1)―KWICは正しい

基礎~積み上げという信念を,近年の日本語(教育)学史上で,血の通った,命を懸けた,そういうマジな信念として(つまり,実利実益羨望嫉妬…そういうのを離れて)表したのは,野元菊雄(1922~2006)ただ一人じゃないでしょうか(と,知った風に言ってみる,だけのことはある,という説得力が以下にあるかどうか…いましばらくのお付き合いを)。

国語研初代日本語教育センター長にして,後に国語研所長となった野元は,とりあえず「簡約日本語」の提唱者として有名だそうな。最近でも,多文化共生ブームの中「やさしい日本語」系の元祖みたいに,文献一覧に頻出の名。70年代より国語研の宣伝も兼ねて打ち出された「簡約日本語」は,1988年2月26日の朝日新聞夕刊に「『簡約日本語』外国人のため“発明”します―国立国語研三年がかりで」を載せることに成功し,そこで「北の風が強く吹きますと吹きますほど,旅行をします人は...」のようなキテレツな例文をわざと紹介して,狙い通り見事に(世間の大反感を得て)国語研と所長・野元の名を一躍お茶の間にとどろかせた。

野元の「簡約日本語」は,その名のまんまで日本語の簡約版の一提案である。言語を簡約化する試みは,オグデンの「ベーシック英語」(1920s〜)の有用なることが喧伝されて以降,日本でも東亜共通語構想の下,土居光知『基礎日本語』(1933:未読)や,近衛文麿(国語協会)with 星野行則(カナモジ会)の「大東亜建設に際し国語国策の確立につき建議」(1942:未読)など,戦争&占領がらみであれこれ提案されてきた。語彙・語法文法を人工的に制約することで当該言語習得の簡単を目指すこれらかつての発想と,「簡約日本語」との間に親近性を見出すことは一見簡単だ。しかし,両者の間にはあまりにも深い断絶がある。

「簡約日本語」の目的は,国語研公式の「簡約日本語の創成と教材開発に関する研究」(1992)では,「国際共通語としての日本語を世界により広く進めるため」という決まり文句で出てくるが,野元個人としては,もっと具体的なターゲットを当初から持っていた。それは,技術研修生受入機関への入り口10時間をいかに使うか,という標的[7](野元,1992;ほか)。つまり,日本人とやり取りし始められるためにスグ覚えられる日本語とは,っての。ここには「国際共通語」という発想は微塵もなく,日本人とやりとりできるように非日本人がガンバリやすくするための簡単言語,という発想しかない。

この簡約日本語は,語彙の制限だけでなく,動詞の活用を排して「‐マス」の活用だけで済ませるステップⅠから始まって,ステップを経て最後は日本人と区別がつかない日本語を習得するまでに至るのを目指してる。まさに基礎から応用への典型だが,では野元は何を基礎だと,何を日本人の日本語だとみなしていたのか。それはひたすらKWIC(Key Word In Context)。

野元が依拠したKWICとは,岩淵時代以来国語研が推し進めたコンピューターを利用した日本語データベース構築の成果である用例索引。これを用いて,書きことば(新聞記事)と話しことば(街角の録音データの文字起こし)両方のデータから,どんな語がどんな前後関係の中で用いられているかを,もっぱら量的に順位づけた。要は,みんながよく使っている言い回しは正しくて基礎的だ,という判断だ。歴史・法則・権威…といったものには目もくれず,ひたすら量にこだわって正しさを求めるこの姿勢は,野元に一貫している。

たとえば,ブラジル日系人社会において「バス」を「オニブス」と言うコロニア日本語は,「えせ日本語」だと言う(野元,1974)。その根拠は「日本語を話す人の多数派である日本の日本人に理解できないことになるおそれがある」(野元,1969a)からというもので,ひたすら量によって正しさを設定してる。こうした野元の態度は,動態性の観点から年少者の言語教育を徹底して編みなおそうとする川上(2011)にとっては,日本国内の静的な分布を地球の反対側ブラジルにまでもっていけるっていう「日本語へのまなざし」として,激しく批判すべき対象となることには誰もが納得するだろう。

ただし,野元は自分の言ってることがオカシイことを,明らかにはじめから自覚していた。だって,それが正しいかどうかは「調査によるほかないのですが,…それをどう評価するかとなりますと,主観しかよりどころはない」(野元,1978a,p. 201)と述べ,続けて,その調査による「多数」とは誰なのか,東京の多数なのか,教養層の多数なのか,誰も決めてないし「決めるべきかどうかさえ定かではありません」と告白する[f]。さらには,よしんば多数を正しいとしたにしても,その正しいことばは「決して各人で一致することはありません。そういうように一致しないで,バラバラなものに名まえ(ここでは「共通語」:評者注)をつけて,まるで一つのものがあるような錯覚を与えるのはよくありません。」(前掲,p. 160)とまで言いきる[8]。

ここまで多様性・複数性を尊重しようとしながらもなお,調査によって計量される多数こそ正義にして基礎,という信念を野元に表明し続けさせたのは何か。その答えは,野元の国語学への道のりを見れば露骨なまでに明瞭に現れてきます。

ちゅう

1.3.5.野元菊雄という信念(2)―「生き残つた」意味

野元菊雄の名が,研究者として最初に国語学史上に現れるのは,『日本人の読み書き能力』(1950)をまとめた「読み書き能力調査委員会」メンバーの一人として。言語学科の先輩・柴田武に誘われてのこととのこと(野元,2004)だが,野元がこれに参加しているときの肩書きは「CI&E」,つまり占領軍GHQのCivil Information and Educational Section:民間情報教育局。東大新卒の一国語学徒が,なぜアメリカに見込まれて,国語研の大先生に混じりこの仕事を任されたのだろうか。あなたが靖国英霊思想を信奉するなら「あたりまえでしょう!」と声を荒げてもおかしくはない。

だって,戦没学徒兵の手記をまとめた『きけ わだつみのこえ』(一集のみ)(1948),さらにその先駆となった東大戦没学徒兵手記集『はるかなる山河に』(1947)を,誰より先頭に立って集め編集したのは,ほかならぬこの野元菊雄だったのだから。そして,野元の編集方針は際立って明確だった。ただ,たとえば『はるか…』で編集委員を代表して野元が著した「失われなかつた人間性」では,生き残った「私たち」がずっと主語となって表現されてたりして,野元個人の意思がどこからどこまでなのかはよくわからない。

だけどそれから数年もすると,戦争をバカにしたような戦後派(アプレ・ゲール)が闊歩しだすようになり,さすがにムカついて野元(1950)が遂に「私は」を主語にして言う。「あえてしかばねにむちうつて」K(=木戸六郎)君を断罪する,と。K君というのは,戦中「一切の批判,思辯的操作を斥け」て徴集猶予奉還運動を展開するまでに「戰爭を美しいスローガンどおりに信じていた」人らしく,よって野元はK君の手記を両手記集からも排除したと。そして,こんな「K君をもう出してはならない」として,「わたしたちの心にK君がいなかったか,いないかについて」深い反省を自他に求める。過去を直視し,平和と自由を脅かすなにものもないよう,考え続けることを強く主張するのは,両手記集を貫く態度であり,やはり野元の思想でもあった。

こうした野元の「戦争」への憤懣憎悪は,戦争体験者としてものすごいものになってるのはわかる。が,その根源である野元の戦争体験はちょっと複雑だ[9]。静岡高校時代に現役兵として早くも入隊してるのだが,野元は中1のとき腎結核で片腎を摘出しているからあんまり元気じゃなかったろうにどうして?と思う,けど私は当時の兵役システムを理解してないので何とも…。で,翌年東大に入学して,上等兵として後楽園の高射砲第118連隊で炊事班の軍曹の秘書となり,ときには糧食のちょろまかし書類を作って上官のご機嫌をとったりしてたと。どっちにしても,「国籍を違えて生まれたというだけの理由で」殺すか殺されるか,という世界ではなかったようで,それにしてはあまりに激しい当事者意識だと思う。

そのわけを考えてみると,一つは東京大空襲で,後楽園はやられてないけど近所の死屍累々の片付けとかしてそこで地獄を見ただろうし,一つはいくら書類書きの秘書でも軍隊の「汚辱と腐敗に満ちていたか」をイヤというほど痛感してるし[a],日々友人知人が死んでいくのも経験しただろう。だけど,何でもオイディプス化してしまう私の性向にかかると,野元の戦争への当事者的な激昂は,父に向けられたものではないかという気がしてならない。

野元は,座談会等で鹿児島人としてのアイデンティティを時々表明してるけど,産まれは横須賀。はて,と思えば,鹿児島出身の父・野元為輝は海軍少将にして,横須賀を母港とする空母瑞鶴の艦長だった(※同姓同名の他人だったら以下破綻のため要確認)。ということは,「この戦争を始めさせた一人が,父よ,あなたじゃないか。私から自由を奪ったあの戦争を,K君を今日まで生んだあの戦争を,始めさせたのは,父よ,あなたじゃないか。」そんな野元菊雄の無意識の声を聞いてしまうんです。――もちろん,そんなこと誰も言ってないしどこにも書いてないし,そんなわけもないでしょうけれど,戦後,為輝が晩年になって「海軍反省会」(1980~90s)を組織し,新資料の提出をはじめ帝国海軍の開戦責任等について批判的考察を展開したらしいことを思うと,菊雄の無意識の父への反感が,なんらかに働いたのではないかと私は夢想してしまうのです。

オイディプス物語はさておくとしても,野元が戦後GHQに入り,言語調査に進んでいけたのは,この無意識にまで徹底した,平和と自由への望みがあったからではないかと。H.ヘファナンはじめ,デューイの思想を色濃く示す当時のGHQとそのCI&Eには,そんな野元の平和主義・調査に基づく平等主義はまさにぴったりだったでしょう。そして根っからの調査好き[b]の嗜好もあって,一人若手として「読み書き能力調査委員会」の一員として名を残すまでの活躍を示したのでした。

こうして作られていった野元の言語観。野元は繰り返し,言語なんて「色眼鏡」でしかない,と論じた。そして,ピジンであれなんであれ,色眼鏡はどれも等しく色づいていて平等だ,と(たとえば野元,1971)。そして「世界というものは,色眼鏡をかけてしか見ることができないものです。…無色透明な普遍的世界は人間にはあり得ない」(野元,1978,p. 26),さらにここにつづけてめずらしく本音を素直に書いている。「おそろしいのは,人は母語という色眼鏡を永くかけていると,自分がそういう色眼鏡をかけていることを忘れてしまって,自分の見ている世界だけが本当の世界だ,と思い込んでしまう」。これはlinguistic relativityのことを言っているのではない。色眼鏡をしてるのを忘れさせられ,思い込まさせられ,遂には戦場に自身も野元も送り込めとまで活動したK君への(さらに父への?),そして戦争への許せなさ。この消え去りえない憤怒を,異言語習得の全肯定によって,野元はどうにかこうにか未来への信念体系の中に収めたんだ[c]。あたしゃそう思うんですよ。

簡約日本語にしろ,オニブス日本語否定にしろ,野元は明らかに,偽悪的態度をとって議論を呼び起こしている。私は観察した,分析した,これが事実だ,さあどんどんつついて来てくれ,と。私はここでどうしても「パスカルの賭け」を思い出してしまう。本書評をしのぐ(当たり前)おもしろネタ集『パンセ』(当然未読破)にあるこのネタは,理性そのものの不完全から懐疑論を唱えつつ,しかし理性の実践継続による人間の可能性を説き(考える葦),そこから“人生疑いつつ決めるという賭けでっせ,賭けの結果は事後しかわからんけどその確率における期待値なら事前にわかります,さてあなたは神を信じますか,信じるしかないですよね”というもの(断章233~242)。神の存在可能性をコイントス=1/2(ていうか0より大ならいくらでも結構)にするとして,「神はいる」に賭けた場合,勝ったら永遠の幸福をゲット(恩寵期待値無限大),負けても祈った時間が無駄だった程度で失うものは特にない。「神はいない」に賭けた場合,勝ったらこの世でまぁ幸せ,負けたら永遠の地獄に(恩寵期待値マイナス無限大),理性による計算ではコンナン出マシタケド。さぁ,あなた期待値=プラス無限大に賭けないんですか?,理性も神も信じずにあなた何しに生きるんですか?って。「信仰とギャンブルを一緒にするなんてケシカラン」という常識に対してパスカルは,「だったら反論してくださいョ」と待ち構えている,私の信心をより強く確かなものにするために。野元もまた確かなデータをもって「だったら反論してくださいョ」と誘っている。では,野元は自ら何を信じるべく議論に誘っていたのだろうか。

ここまで来たらもうおわかりでしょう。誰かしらの主義主張,根拠のない妄信,もっともらしい精神論,などなど,そういう他者のイデオロギーに決して染められることなく,自由に議論し,自ら考えつづけること。そうして「運命」や「偶然」なんかで生きたり死んだりするような世界を二度ともたらさないゾ,そう素朴単純にそして強烈に願い続けることが野元にとって“「生き残つた」という真の意味”だったのではないでしょうか[d]。野元にとってその方法の一が,過去の記憶や精神ではなくて現在の生のデータに基づく,理性による国語の作り直しだったというお話。

その簡約日本語の完成と普及は野元の退官までに遂に果たされなかった。退官後,日本語の国際化方針は,野元を忘れたいまでに,国語改良を捨て日本人の日本語感覚の改良へと完全に舵を切った(たとえば国語審議会1999年第22期第3委員会第2回)。

そして2006年2月,イグナチオ教会ザビエル聖堂でアルフレド神父から洗礼をうけついに信仰に「飛び込んだ」野元は,まもなくヨハネ野元菊雄として天に召された。彼を想うとき,私のまぶたに浮かぶのは「我々の眼で見,耳で聞き,我々の手でさわった事柄をあなた方に対して書くのだ」というヨハネ(団)による第1書簡の冒頭(『ムラトリ正典表』による表現:訳・田川,1997)[e]。この使命感,平和の福音を伝道する使徒としての使命感によって,データを示し生きたのが野元菊雄という信念だったのではないかと。

それにしても,ここまで信じに信じた野元なのに,その試みは完全に頓挫して終わったんでしたよ。それは,あまりにも露骨だったからだ。現代人にとってあまり触れてほしくないところ,つまり「多数」というデータを源に日々意識的無意識的に襲ってくる「不安」,それに対して野元はあまりに軽々しく踏み込んでいったからだ――戦争の時代の記憶からすれば,そんな不安ごときごく軽し軽き軽けれ軽から軽かり軽かる軽かろ軽かれ○だってのは想像はできるにしても。

細川が「準備主義」として批判するのは,この不安がもたらす現代人の悪弊のさまざまだ。そして先に川上が指摘していたのは,これら不安のさまざまを固定化し実体化してしまう力としての野元の「まなざし」だった。川上の言うとおり,正しいかどうかとか規範性云々とかが問題なんじゃなく,目的主義・応用主義を掲げようとするその「まなざし」が,ただの不安を現実の事態へと固定しちゃうってとこが問題なんですネ。要するに細川の「準備主義」批判は,現代の不安を現実化してしまう悪弊を,徹底的に日本語教育から取り除こうとする闘いなのであります。こりゃまだまだ本節,先が長いゾ。

ちゅう

1.3.6.準備主義とは何か

本節の準備主義は,一見すると,タスク達成型日本語教育を典型とする,現実社会への適応準備としての日本語教育を指している。しかしここでの批判対象は教育論でも教育方法でもなく「主義」であることをいまいちど確認しときたい。そうでないと,タスク達成型はいけません,なので総合活動型をしましょう,みたいな解釈に堕ちちゃう。じゃなくて,社会への適応準備としての教育,という実践や発想を可能にしている主義を,つまりそういう信念や思い=心性を,ここでは俎上に乗せてる。

日本語教育に関与したことのない私は,タスク達成型って言われても,実際どんな教育なのかよく知らないので,池上(2011)が「準備的教育」として批判する文化庁文化審議会国語分科会の『「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について』(2010)がその典型と信じて,ちょいと見てみると,うぎゃぁ!ビックリした。だって,外国人が日本で基本的な生活基盤を構築し安全を確保するための「生活上の行為」121事例が,学習項目としてそこに出てくる例文・文法・語彙とともに80ページにもわたって延々と列挙されてるの[h]。「この漬物は,まだ食べられますか」「10万円ぐらい,お金を盗まれました」「地震のときは,台所の火を消して,火事を防ぐんですか」「マラソン用の運動靴はどれがいいですか」…いやいや先生方,何をやってはりますのん?とツッコまずにおられでか。

池上は「ここには教育を推し進める根本となる理念は見えてこない」と言うが,私には見える…見えるぞ,ハッキリと見える!そしてあの唄を歌いたくなってきたぞ「心配したって 始まらない 始まらない 心配したって いいことなーい」(「しんぱいしたって」1979?,作詞:石山透,作・編曲:小六禮次郎,歌:石川ひとみ,神谷明,はせさん治,堀絢子)。そう,ここにある理念はただひたすら「心配」だ。

外国人が基本的な生活基盤を築けなかったらどうしよう,心配だ。外国人が腐った漬物を食べたらどうしよう,心配だ。外国人がお金を盗まれたらどうしよう,心配だ。外国人が地震で火事をおこしたらどうしよう,心配だ。外国人がウォーキングシューズでマラソン走って膝を痛めたらどうしよう,心配だ。あーもう世の中いろんな心配つづき。四角い仁鶴も丸くなってしまうんじゃないかというくらい心配がつづく。あー心配だ。

そしてこの心配には根拠がある。多くの日本語を解さない外国人は基本的な生活基盤を築けないというデータがあります。多くの外国人は病院でのやりとりに困難を感じています。多くの…。で,出たぁ! 多数というデータから来る心配。前節で予言した現代の病だ。野元が指摘してたとおり,本来的に,多数というデータは何の根拠にもならないのに,なぜ私たちは多数を根拠に不安になっちゃうのか。そして,最大限の自由の実現を目指すはずの教育が,なぜ不安を(仮想)現実化するこんな不自由なカリキュラム案を作っちゃうのか――。教育における準備主義という心性が,多数を源とした不安から産まれちゃうまでの道のりを,これからちょっとゆっくり見てこうと思います。[o]

ちゅう

1.3.7.心配したっていいことない

その前に,心配して何が悪いか!という意見に対しておきましょう。かの成功哲学の巨匠ナポレオン・ヒル(1937/1989)も言ってますよ,『思考は現実化する』と(当然未読)。

そんな自己啓発的なポジティブ・シンキングを唱導するつもりはないけど,その発想はまぁある意味正しいと私は思ってます。「○○になるといやだなぁ。困るなぁ」はたいていどこかで「○○になれ」と同時に願っているもので,フロイト(1916/1977;ほか)はそういう両義性が「Parapraxis:錯誤行為」を通じて確認できるとした。私はこの話が大好き。

たとえば,しょっちゅうニュースになる「授業でビデオを見せようとしたらエロビデオが大音量で流れた」シリーズ。毎度毎度で普通に考えたらイミ不明な話だが,これぞまさに典型的な錯誤行為。授業準備を「あの授業ヤだなぁ。やりたくないなぁ」と思いながらやりかけたけど,ちょっと逃避してその授業用のPCでエロビデオを見ちゃって,「おっと,授業用PCでエロビデオなんてイケナイ,イケナイ。きっちり削除しとかないとな。」とやるのだが,同時に「私はこんなにイケナイ人間だ,そして授業準備をやる気もなく,もう授業やる資格なんてない」という首尾一貫した自己像が(無意識のうちに)他方にできちゃうと,実際に世界がその首尾一貫性に合致するように(無意識のうちに)働きかけてしまう。認知的不協和(フェスティンガー,1957/1965)を解消しようという力は,意識できる認知においてはもちろん,意識化できない心理行為においても強力で,なかなか逆らえるようなものではない。「私は授業を行うべきだ」かつ「私は授業を行うべき資格がない」という葛藤状態を引きずりながら「昨日のエロビデオ,ちゃんと消したかなぁ」と心配していると,消さないことによって「私は授業を行うべき資格はない」という信念をつい実現して不協和を解消することができてしまう,こうして心配が見事実現してメデタシメデタシ,って,いっこもメデタないわ!――損得勘定なんていう現実的判断などここでは何の役にもたってない,そのぐらい心配がもたらす葛藤は強力。

こんな具合に,ふとした文脈さえあれば誰しも心配のとおりに転んでしまうものだ。ほらこういう理屈で,今日もどこかの教室でエロビデオが大音量で流れている(えっ!?)。

この心配の意識無意識両義性は,実際あれこれ応用されてる。催眠療法では「~しないように」は禁句とされる。たとえば緊張時の振戦に悩むとき「震えないように」とすると余計に震えるが,「手指の力がダラーリとぬけててピターっと止まってる」とすると止まる。スポーツのメンタル・トレーニングでも,短距離走のスタートで最高の反応をするために「緊張しないように」とするとガチガチになるが,「最高の緊張感だ!指先の脈動までハッキリと実感できる。号砲と同時に全筋肉が一気に反応しそのまま全身がゴールに吸い込まれる」とかする(たぶん)。[g] そして反対に,成功哲学の本を売りたいときの売り文句の定番は「どうすればいいのかわからない?他人の成功物語などなんの指針にもなりません!」といって指針になりますという逆のイメージを無意識のうちに刷り込もうとする。[i]

ほらほら,心配は常に精神的に両義的で,状況によって心配したほうに簡単に転んでしまうものなのだ。日本語の先生が学生を心配すれば心配するほど,心配したことを現実にしてしまう,そういう心理行為上の不健全性から,私は心配をもととする心性を教育に持ち込むことを否定したい。さらに言えば当然学生にも教師のそうした(無意識の)心配は,自分への期待として伝わり,よい学生であろうとすればするほど,その心配の実現によって教師に応えようとしてしまうから,イイ学生ほどダメになる。まさに「心配したって いいことない」!

さらに,細川もたびたび指摘するように,この心配の理念はパターナリズムと紙一重のところにある[j]。心配されるべき対象として学習者を最初から弱い存在とみなし,心配で仕方のない弱い教師がそれよりさらに弱い学習者を助けてあげる,という弱さ大集合みたいなことに。助けてあげる,とは,放っておいたらダメになっちゃうから介入してあげる,という意味で自由を制限するものだが,弱者が弱者の自由を制限してまで介入したところで,その心配のタネを制圧することはできるわけなくて,せいぜいタネを形にしてしまうだけで終わってしまう。いらん心配が,いらん弱さをただ見せつけるだけの結果に終わるという,これまたどうしようもない話だ。やっぱり「心配したって いいことない」!

だけどそんなこと言ったって,最初っから「不幸になれ」と思って心配してるんじゃなくって,「幸せになれ」って願うからこそ心配してるのに,どーしろって言うんだ。だからさっきから言ってるじゃないっすか,多数から心配が生まれてる,って。てなわけで,続いてようやく多数から心配を生むしくみについて考えてみようと思います。

ちゅう

1.3.8.数は語らない

ででん。ここに緑・橙・紫の3つの玉があります。適当に1つ取ってください。戻してください。さて,どうでしょう?

――たったこれだけの話が,なぜ現代の不安にまでたどり着くことができるのか。ダウンタウンの漫才(「クイズ」:作者不詳)が関係しているとは思えない。何色にしても3つの中から1つ取られる,ただそれだけの話で,なんの感情も沸いてこない。

なのに,「適当に」って言うから緑を取っただけなのに「残念!緑を取ったあなたが失格です!」と言われたら,「クソー!1/3のハズレを引いてしまったぁ」と悔しくなるし,さらに「失格のあなたには罰ゲームとして特製ノニジュースを飲んでもらいます」と言われたら,「えー!無理無理ぃ。ゴクゴク。うーんまずい,もう一杯!」と涙目にもなってみせよう。

まぁそういう場合は,「結構ウけたし,しゃーないか」で笑って済ませられるかもしれないが,しかし,「あなたが適当にこれを何回かやるとある色を取る回数は2項分布に従い,さらにやりつづけて回数を重ねていくと正規分布に従う(ド・モアブル&ラプラスの定理)」と言われるとなぜかだんだん不安になる(統計用語が出てくるから,という理由は無視しても)。やたらめったら緑ばっかり取ってると,分布の端っこのほとんどありえないことをやってるってことだからか,なんかヤバい気がしてくる。本人にとっては毎回毎回1/3に賭けた独立試行であるのに,それを束ねられると途端に不安になってくる。

統計から来る心配をめぐって,そこでの集団と個の関係についてあれこれ考えてみたんだけれど,心配の根源はこのあたりじゃないだろうか。つまり,自分の行為は,意図があろうとなかろうと,とりあえずずっと「自分の」行為としてやってるのに,あるとき突然それが聞いたこともない「法則」の中にピタッとおさまってます,しかもその法則とやらはムズカシイものじゃなくて,「花札を投げると1/2の確率で表が出ます」のような言われてみれば当然のような法則なもんだから,自分と法則の関係がよくわからなくなって不安になってくる[m]と――いわゆる「経験的確率と理論的確率の一致」。

法則が次々整理されていった頃なら,A.コント,A.ケトレ,E.デュルケームらみたく「法則ってサイコー!イェーイ!」ってぶっちぎっちゃったほうが,むしろあれこれわかってむしろ安心だったかもしれないけれど,それがいまや不安ばっかり。そもそも,不安の解消を目指して統計学は発展してきた[l]のに,どういうこっちゃ。統計学より,感じる私たちのほうに不安の原因があるんじゃないのかしら。てっても,どこがあかんというのか。今の例だと,まず玉が「3つ」あると数えたところから始まった。そこでまずはこの「数える」についてから考え直してみたい。

何かを測定し計測するとき,実はその対象について調べているんじゃなくて,その対象から何か別のことを知りたくて調べている。冷蔵庫のボールの中にイチゴが入ってる,イチゴ一粒を単位として何粒イチゴがあるか測定する,1時間後に再び測定すると2粒減っていることが計測された。この時イチゴについて調べてるんじゃなくて,だれかイチゴを食べちゃう人がいるんじゃないかという疑念について調べてる。体重を測定すると50kgだった,1週間運動した後測定すると48kgになっていて,2kg絞れたことが計測された。この時,体の重さについて調べてるんじゃなくて,1週間の運動の効果を調べてる。こうした生活上の単純な例から,物理学実験にいたるまで,測定計測という行為は,対象そのものについての知見ではなく,対象そのものとは別の意図(仮説体系)を間接的に証明するためにやられてる。[k]

最初の3玉の例だと,「さて,どうでしょう?」の時には特に意図をもって数えていないから何の意味もなかったのに,「失格です」と言われた途端に,3つ選ぶうちの1つの不運,という「行為」の意味を確認する意図が出てきてる。また,やり続けているうちに,緑ばっかりx回とかの行為の傾向を知るという数える意図が出てきてる。測定計測結果というただの数字は,背後にこうした行為の意図がでてきてようやく何かを語り始める。なるほど数は何も意味していない,数を使う行為意図の効果として何かを意味しているだけだ――言語(という運動や感覚)がそれそのもので思想や行為や感情であるのとは対照的に。

とはいえ,この数に関する行為の効果が,即不安を生むとは思えない。単にいろんな意味を生んでるだけだ。じゃあ,不安という意味はどこで出てきちゃうんだろう。キチンと数えて,キチンと分析して,キチンと行動にする,そうすれば不安や心配じゃなくて,むしろ安心と信頼が生まれるはずなのに。

ちゅう

1.3.9.エルゴード錯覚

この「キチンと」の発想,つまり,キチンと計測・測定・分析して未来の予測へ,そしてそのキチンとした予測にもとづいてキチンとした行動へという方向で,シッカリした安心感をえることができると見るのは,コンドルセ~A.コント以来の啓蒙的実証主義的な世界観(実は原典一冊も読んでないからイメージだけなんだけど)だろう。この発想からの成果の第一として,予防疫学・保険・社会保障に代表されるリスク管理,つまり偶然襲ってくる不運への対処の技法を挙げずにはおれんでしょ。

予防接種(特に定期接種)は,一人ひとりその人は受けなくてもたぶん感染・発症しなさそうなんだけど偶然かかっちゃうかもしれないから,みんなで受けることで社会全体の罹患率を下げることができて,結果的に一人ひとりその人の罹患可能性も下げることができるからみんな安心。保険は,一人ひとりその人は事故なんて起こさなさそうだけど偶然起こしちゃうかもしれないから,みんなでお金を少しずつ出し合うことで,偶然の分はみんなで備えて負担しておけるからみんな安心。社会保障は,一人ひとりその人は元気に生き生きと暮らすつもりだけど偶然元気すぎたり元気なさすぎたりするかもしれないから,元気なときに元気を少しずつみんなと共有することで全体として安定した感じになるからみんな安心。備えあれば憂いなし,リスクに備えておくと,うわ~なんて安心なんだ。

のはずが,これまたリスクへの対応を徹底するほどに,言い換えれば数える意図をハッキリさせていくほどに,例の心配の両義性が露になってくる。感染しませんよ(感染する可能性があるんだ!),被災しても大丈夫ですよ(被災する可能性があるんだ!),ダメになっても大丈夫ですよ(ダメになるかもしれないんだ!)。しかもどれも信頼できるデータに基づいているゾ。安心なのに心配だ!なぜだ。

リスクを最小限にするための理論や数理モデルがいくら発展しようとも,リスクを心配しなくていい公準は決めることができないからだ。かつてロゲルギストK2(=木下是雄,1966)は,この問題に対して「数理倫理学」が必要だと主張した。つまり,「これこれの目的をもち,これこれの結果を期待できるならば,ここまでの危険率は認めてよろしいという上限の設定法」という,数と倫理を結びつける思想体系を構築せにゃならんと。そうだ,数える意図とそこから不安になる限界点とをハッキリ示してくれればいいんだ。だけど,社会的不安はこれで「対策バッチリだぜ!」って確率論的に解消できるにしても,億分の1だから安心です,って言われたところで一人ひとりが感じる不安が解消するかしらん?せんわな。なんというか,余計に不安になる。億分の1に当たってしもたらどないしよ!って。

しかし,本当にちゃんと調べて考えて備えるほど心配になるのでしょうか。そんなの理性のありかたとして異常だろ。どこかに変な発想が混じってるはずだ。それを,「平均人」でおなじみ,社会統計の元祖A.ケトレ(1796~1874)のそもそもの発想に見出したい。天体観測マニアでもあるケトレ[n]は,天体観測の誤差分布が,コイントスを繰り返した際の結果の分布と同様であり,さらに兵士の胸囲測定結果もまた同様であることから,確率事象・測定誤差・社会測定結果は,いずれも同じく例のベルカーブを描くと着目し,平均=正確正常な値=理想,という等価関係への道を拓いた。ケトレは,個人を測った誤差や変化の分布と,集団を測った個人差の分布とが,確率分布と同じ形をしていることを理由に,等価だとみなしている。ただしかし,誤差と個人差を同一視するというのは,かなり強引な判断だ。要はある兵士の胸囲を1000回計った分布と,いろんな兵士の胸囲を1000人測った分布とは同質だとみなしているのだが,こういう具合に,ずっと測り続けた時間平均と,一気にある瞬間を測ったアンサンブル平均とを等価とみなす考えを,統計○○学でのムズカシイ言い方で言いますと「エルゴード仮説」と呼びます。確かに,サイコロ1個を1万「回」投げたときの分布と,サイコロ1万「個」を1回投げたときの分布は等しいだろうと直感できる(が,これを数学的に証明することができるかどうかは未知)。だからといって,社会における1個の人間という,常に独立・非独立な確率的過程を何重にも経ていく非定常性の極ともいえる存在に,果たしてエルゴード性を認めることなどできるのだろうか。明らかにできない。しかし,サイコロ投げのエルゴード性を前にしてしまうと,なんとなく人間についても同じことが言えるのではないかという気が直感的にしてしまう。

ふぅ,私が探したかった現代の不安の根源をここに見つけたったゾ。社会のデータと,個人とが,何か関係あるような気がしてくるのはなぜか,ようやく納得できた。多数を標準や正しさの根拠としているから少数者が不安になる,というような中2病的な話ではなくて,意味のない数に意味を見出そうとする際に,本来ないはずのエルゴード性を想定し時間空間を入れ替えて,意味を見出してしまうから,まるで自分が社会(当然だが,社会そのものは常に不安要因――究極には今まさに死んでる人――を含んでいる)と同質であるかのような不安を感じているのだ。つまり,この不安は,エルゴード性の錯覚によって生まれているから,そもそもまっとうな根拠がない。だから不安なままなのだ。

ある町の1歳から100歳までの各齢の平均身長のグラフと,ある人の1歳から100歳までの各年の平均身長のグラフが等しいわけはないし,等しかろうがどうだろうが,見比べて得られるものなど何もないのに,町のデータを見て「私はこんなに小さくなっていくのか」とかワケノワカラナイことを思ったりしてしまう。在日外国人の滞在期間と犯罪率のデータが与えられると,あのナターシャもx年経つとx%の確率で犯罪を犯すんじゃないかとかワケノワカラナイことを思ったりしてしまう。だけど,これらは全部時間と空間をごっちゃにしてしまってるエルゴード性の錯覚にすぎない。[p]

つまり集団のデータから個々のあり方など,実は何も語ることはできないのね。だからいくら育児書を読んだところで,不安は何も解決しない。ってことは,個々人について考えるとき,最初の「キチンと分析から予測へ,キチンと予測から行動へ」という見方からしておかしいってこと。ここは逆に,またまた登場カンギレム師匠が,このコント的格立を批判して,科学史から見出した「行動から失敗へ,失敗から分析へ」という視線のほうが何かと辻褄があってくるのではないでしょうか(少なくとも私自身の生活実感を根本的にうまく表現できているような感じがする――けど,もうちょっとカンギレム周辺を当たってみないとうまいこと言えそうもないから,とりあえず置いとこっと)。

詳しくはともかくとして,カンギレムが医師になってまで患者という生きる1個人を科学史の主体に戻し,医師を単なる数=生理学の実践者ではなく患者に対面する臨床技芸の主体に復活させんとしたように(繰り返すが未読のためこのあたり超テキトー),細川もまた,学習者を1個の主体に戻し,教育者をも学習者として1個の主体に復活させることで,時空間の錯覚から来る心配に基づくにすぎない諸学の奴隷状態から解放しようとしている。その運動を「学習者主体」の看板で宣伝しているのだが,では,主体としての学習者と対面する主体としての教育者(=学習者)とは,どんな存在なのか。その答えは,なんとアイスクリームを大量に買うことによって実感できるのです。

ちゅう

1.3.10.アイスクリームで冷凍庫をいっぱいにして

学習者主体とは,について,細川に「学習の主体が学習者自身」とか言われてもまたもや同語反復でよくわからないし,「市民ネットワーク的」と言われてもこれまた,官僚的でなく,企業的でなく,というナントカでない,というばかりで何なのかサッパリの話だし,困っちゃうのですが,つまりは「学習者にしか学習者本人のことはわからないということ」(メルマガ546)とスッキリ吐露されると,ようやく意味が見えてくるでしょう。つまり教師ごときに学習者本人のことはわかるわけないんだから放っておきましょう,ただそれだけのことだ。すると,ちょっと待ってください,教師としてやるべきことはじゃあ何なんですか,学級崩壊状態で放任するんですか,という例の反応があり,いいえあなたの理念,あなたの目的論に沿って何かやって下さい,という例の返答がある。「え~,私が『そりゃすごい理念だねぇ』と言いますので,皆さんは何か面白いことを言ってください。はい好楽さん!」,『笑点』ならそれでいいけど,何かやってくださいって言われても,ねぇ。。。

これについに明確かつ具体的な回答を与えた革命的発明があります。それは,育児に困る人を対象とした「アイスクリーム療法」(田中,2011)。てっても,することは簡単。クーラーボックスをもってスーパーに行き,できるだけド派手なパッケージのアイスをできるだけ多種類可能な限り買って,家の冷凍庫をいっぱいにするだけ。あとは子がほしい時にほしいだけほしいように食べておしまい(後片付けはいちいち親がしてね)。

それなァァァァァ!と叫びたくなるほどの感動と衝撃,もう私は完全に打ちのめされたというか,とにかくヤられた,まじやばい(とにかく私は文学的センスがないので,こういう感じをちゃんと書けない)。(元?)世界一流の脳科学者にして,奈良京都一流の地域医・特にカウンセラーであり,時には直播稲作とかのリアル自然農の実践家として,そして4児の父として,とにかくあれこれ活躍の田中茂樹がアイスクリーム療法でつきつけてくるのは,「信じ!」(北倭山城のイントネーションで)の一語だ。

今のご時勢,信じるのは本当に難しい,特に信じきるのは。アイスクリーム療法は,信じきることへの覚悟を試される。文学博士(心理学)も持ってる田中が例のカフェテリア実験(Wikipedia:JAの要約)を踏まえてないわけがないがそういう意味じゃなくて,本当に信じてたらアイスの100や200どないやちゅうねんちゅう話や。栄養バランスが心配,アイスごときで何も変わりません。しつけに悪影響,自分でちゃんとしだします。味覚がおかしくなる,そんなに急に変わりません…。グロテスクなまでに極彩色のアイスの山を前にするとつい心配になりますが,信じていれば大丈夫,お子の力舐めんなよと。アイスクリーム療法は,日頃気づかぬうちに侵されている疑心を断ち,真に心から信じることへの覚悟を自覚させてくれます。詳しくは原典『子どもを信じること』をご覧いただくとして(本屋のまわしものではございませんが。育児における準備主義批判を具体的な臨床経験によって知らしめてくれますョ)。

細川の主張も,噛み砕いてしまえば「いっぺん心底信じてみなされ」ってだけの話。が,細川も繰り返すとおり,これは決して放任ではない。田中のロジックを借りるなら,立派にお片付けができようが,ついうっかりオネショをしようが,ほめるでもしかるでもなく,ただ本人がそれを自分のものにしたり乗り越えたりしていくのをつねに信じつつ「淡々と関心を向け続ける」ということです。そう,これは細川英雄その人の根本思想でしょう。何を言っても細川の返事は「あぁそうですか」,表情も変えず「あぁそうですか」,そして「なぜ?」「なぜ?」と繰り返すだけ繰り返したら「じゃ,あとよろしく」と部屋のカギを残したまま八ヶ岳へ…。細川研究室で学んだ院生諸氏なら誰もが経験したことでしょう,完全に信じられ,淡々と関心を向け続けられるこの経験を[r]――信じあう関係からしか本当の議論はできない,この強い信念は細川の根幹にあって揺らぐことはありません。

ちゅう

1.3.11.日本語教育学のパラダイム転換

だけど,徹底的に信じよ,だけなら何もあえて「学習者主体の日本語教育学」とまで限定した看板を掲げる必要はないでしょう。しかし,わざわざ日本語教育で言わねばならないのにはわけがある。

いまや教師ほど信じられていない人もいないのではないかというほど。だって,かつては教育基本法以後その精神に基づいて,日本全国津津浦浦,師範学校は大学となって世界有数の高度な教員養成体制を確立し,民主と平和を実現する次代を創らんと才気にあふれる教員が育成され各地の学校に就いた,はずだったのに,あっという間の逆コース。教育二法・教科書検定・学習指導要領・共通一次・・・と次々に教員はただ均質に管理されるだけの存在に堕とされていく[q]。だれもあなた方教員のことは信じていませんので,言われたとおりにやってください。毎日毎日そう言われ続けさらに,やってるかどうかを報告してください,チェックしますので。毎日毎日そうやって書かされ監視され続ける。これが今日の日本の教育の基本的なあり方でしょ。そんなところで仕事してて,でも先生自身は児童を信じてください,と言われたところで,できるわけがない。気が狂うわ。

いまや管理の波は義務教育課程だけでなく,私立大学にまで押し寄せているという。しかしその,学としての非自律性,隷属するだけという存在感の薄さが,日本語教育には幸いであった。(皮肉なことに)何もないところには管理の力は及ばない。自由の場所として,日本語教育学にはまだまだ可能性が存分に残されていたのだ。今こそ,教師も学生も,信じることを機軸においた教育を,日本語教育から再び立ち上げなおそうじゃないか,これがスパルタクス英雄が成し遂げんとする,学習者主体による「日本語教育学」のパラダイム転換の意味なのではないでしょうか。

ちゅう