【無定期連載書評】
『「ことばの市民」になる』とは — 自由の顕現にむけて

谷岡ケイ(ケイ商店)

細川英雄(2012)『「ことばの市民」になる―言語文化教育学の思想と実践』ココ出版.

もくじ

1.第1部 言語教育は何をめざすか

1.2.第2章 クレオールは言語教育に何をもたらすか ― 日本語教育クレオール試論

1.2.1.クレオールとは何か

クレオールと言っても,それが喚起するイメージはものすごく幅広い。たとえば,ケイジャン料理とクレオール料理ってどう違うの?とか。

言語学を少しでもかじったことがある人なら,クレオールと聞いてまず思い出すのは,ピジン・クレオール,という単語の並びだろう。ある言語が支配的な,そんな言語社会状況下において,被支配的言語の話者が支配言語を簡略化(単純化)したものを用いざるをえなくなり(ピジン化),そのピジンが次世代以降の母語として習得されると,ピジンの特性からは導出できない特性をもった一個の独立した言語体系をなすようになる(クレオール化)という話。Hall(1966:未読)をはじめとするアメリカ構造主義言語学による記述的分析から,ビッカートン(1981/1985)ら心的臓器としての普遍文法の根拠としての研究まで,安部公房(1987/2000)だけでなく誰もが興味を持てそうな言語学的題材として人気の概念だ。

本章3節で取り上げられる『クレオール礼賛』(ベルナベら,1993/1997)におけるクレオールは,こうした言語学概念よりずっと広い射程を持ち,かつ,まったく違った文脈でしか解釈しにくいものだ。というのも,『礼賛』のクレオールはつまり,マルティニクの人々自身が,フランス共和国憲法73条下にとどまるのか,それとも74条を選択するのか,という現実の政治判断を可能にするために用意された概念だから。73条なら海外県(DOM: départements d'outre-mer)として本土県と同等の地位に,74条の海外自治体(COM: collectivité d'outre-mer;2003年以前で言う海外領土=TOM: territoires d'outre-mer)なら通貨をはじめ独自の運営ができる独立した地位に。マルティニクは,ネグリチュードを唱えたE.セゼール率いるマルティニク進歩党政権によって海外県としての地位を確立したが,しかし独立は果たせなかった――外からの強権によって,ではなく,自らの住民投票によって。独立には,対西欧という対立極を超えて,マルティニクそのものを引き受ける思想・文化・社会…を創出せねば果たせない。そういう切羽詰った中から唱えられたのがこの,あらゆる意味での混交性,クレオリテを基とする,美しいマルティニクの,新しいマルティニクのナショナリズムだ。

しかもこのナショナリズムはすでに頓挫している。わざわざ訳者があとがきに,『礼賛』はセゼールの独立断念に際して書いたと説明してくれてるように,現在もなおマルティニクの政治状況は,74条さえ目指す機運にないと聞く[1]。しかもしかもこのクレオリテは過去も否定され続けてきた。ベケ(植民地生まれの白人)によって,ムラートによって,解放された黒人によって(つまりフランス語教育を受けた順に)常に否定され続けた[2]ものをまるごとマルティニクとして認めようとする,きわめて困難な活動だ。

しかもしかもしかも,政体としての独立を目指す限り,本章5節に引用されるコンデの批判のとおり,必然的にクレオリテは新しい排他的規範として固着するしかない性質をもつ[3]。文芸運動としても,口承文化なのにそれを抑圧する側の記法によって表現するしかないという矛盾と常に戦ってきたように,その発想と実現の間の溝はそう簡単に克服できるものではない。そこで,すでに現実には独立をあきらめた(?)今,クレオリテをさらに流動的・過程的・関係論的に,元来の発想のもとに回復するには,クレオリザシオン(グリッサン,1990/2000:未読)のような別の概念が必要になるのだろう。

このように『クレオール礼賛』におけるクレオールは,そのキレイなところだけを抜き取っても,「混ざりましたか,それはきれいですね」という話で終わってしまうわけで,相当に具体的な政治状況,社会体制,歴史…という文脈の中でしか,その意味を捉えることはできない――これは単なる美学ではありません,それは『礼賛』が繰り返していることだ。

ちゅう

1.2.2.コラージュ・ド・フランス・ア・ロソカワ

ということで,本書本章で細川が言うクレオールから,『クレオール礼賛』のそれを読みとることは,私にはほとんど不可能だった。どちらかというと,引用もしてる今福(2001/2003)に,つまり,原題を『文化のヘテロロジー』としてもっぱら文化論的にクレオールをモチーフとして(最後のほうでちょこっと)展開したこの書にひきずられたと思われ,二項対立性の克服や,混交性の尊重をして「クレオール」と言っているように思える。そんなわけで私には,本2章の2~6節はあまり読み取るべきものがありません。

しかし本章は,「クレオール」概念を紹介するために用意されたんじゃなかったことを思い出そう。長谷川科研AとBの間で,つまり1995年以降の数年の間で何が変わったのかが,本章の主題だった。この時期,細川はパリにいた(1995年夏からの1年間,早稲田大学とパリ大学との交換研究員として)。なお本章の初出は2006年で,この執筆を終えた細川は3度目のパリでの研究生活に出発する。その出発にむけて気分を高めるためだろう,本章はこれまでのパリの思い出をスクラップブックにまとめたかのようで,いわばフランスに関する話題のコラージュとなっている。クレオールもまたその素材の一つに過ぎない。

では,この細川流コージュ・ド・フランス[4]で表現したかったものは何か。それが7節以降に記された「境界」の概念である。細川はこの2度目のパリで,ある「境界」概念を獲得した。そしてこれによって,自身の言語観・文化観・教育観を一変し,細川英雄にとって言語教育とは何か,その礎を築くことに成功した。そこで以下,細川が獲得した「境界」概念とはどんなかを見ていこうと思います。

本章ではフーコーを引いたりしてるが,これもまたコラージュの断片であって,その本質ではない。なぜなら,このとき細川に衝撃を与えたのは,CREDIFを通じた出会いであって,中でも大きな影響を与えたG.ザラトは明らかに,その師にあたるP.ブルデューの理論系の下で教育思想を展開し実践する者だからだ[j]。つまり,細川英雄の教育理論の基礎は,ブルデューを知ることによってその様相が明らかになるものとなっている(もっとも本人は,引用もしないし,ほとんど意識していないよう)。まずはザラトが細川にブルデューの何を伝えたのかを読み解くことから始めよう。

ちゅう

1.2.3.ザラトの授業(前半):客観の話

1995年パリで,交換研究員として細川がまず受講したのは,パリ第三大学の博士課程「第二言語としてのフランス語における文化教育学」コースでのG.ザラトによる「言語教育における文化の多様性――研究のための方法論」というクラスだった。ちょうどこの授業のテーマが「文化の問題を言語活動実践のなかでどう捉えるか」という,まさに細川がフランスで学びたかったことの一つで,よくもこんなピッタリの授業にありつけたものだわというもの。その内容については『デザイン2』でごく簡単に紹介されているのみだが,それでも細川が受けた大きな衝撃を十分読み取ることができる。そこに挙げられているポイントを順に見ていこう。

まず,固有の観点をもちなさい,そのためには調査観察による対象相対化によって固有の観点を確立すべしという,まさにブルデューの声で聞くような話。

1955年,エコールノルマルを出て高校で哲学を教えていた25歳のブルデューは,アルジェリア独立戦争に徴兵され従軍[6]。オルレアンヴィルの弾薬庫守備隊という前線での2年を経て,同郷ベアルン出身の上官に管理部門(総督府官房広報)に配属してもらい,ようやく知的活動を再開。いやいやながらも事実暴力を与える側にいる自己自身とは何か,青年ブルデューはそれを徹底した調査によるアルジェリアの対象化によって追求した。フランス帝国主義はアルジェリアの何を破壊したのか,量的調査によってこれを明らかにしていく中で,アルジェリア伝統社会にはあった内面化され身体化された原理=ハビトゥスを見出し,これによって対照的にパリの,アカデミズムの,資本主義のハビトゥスを知らしめられることにより(『資本主義のハビトゥス』原題Algeria 1960:未読),自己自身が何であるか,確固たる視点を獲得したのだった。サルトルらパリの知識人はアルジェリア独立を叫ぶが,それさえ自分らのハビトゥスを強要するものとしてブルデューは決して同意せず[8],ひたすらアルジェリアとは何かを語った[7]。パリのインテリとしてではなく,ドンガン村出身の田舎者ブルデューとして,自分の視点を持つと決めたのだ。ザラトが想定しているのは,師が研究をいかに始めたのかについてのこの話だ。

さらに偶然というか話は続くもので,ブルデューがアルジェリアでともに研究調査を行ったのは,INSEE(国立統計経済研究所)のメンバーだが,ザラトの授業でもちょうどINSEEの資料読解をめぐって質問があったという。「資料の客観性を疑いはじめたら…授業はできませんよね」[f]と。ザラトは,受講生が研究者を目指す限り,すぐ現場の役に立つかどうかはともかく,客観的に見ることを知れば実践はきっと変わる,とたしなめたという。これまたブルデューを教育的助言に翻訳したような話。

先述のようにパリの哲学・教条主義に対してブルデューは,常に量的調査によって個人がいかに社会的に構造化されているかをあぶり出し,同時にそのあぶり出しを可能にした思想・理論を明確化させていくという往還的な研究方針を貫いた(ブルデュー,ヴァカン,1992/2007)。ブルデューにとって,アルジェリアの伝統ハビトゥスの調査研究が,加害者にならざるを得ない自分とはなにかを追求することと同義だったことが象徴するように,この方針はブルデューの研究を常にréflexif(反省的・再帰的)なものとしてしている。「理解とは,…自分を形成した界(champ)を理解するということ」だという。つまり,その対象やその調査方法は,どんな集団のどんな信念や行為の体制によって可能となってるのか,そういう自分自身の被規定性を明らかにする営みでなければ,常識の上塗り,何かしらの再生産,他人のふんどしで相撲,街灯の下で鍵を探す,それだけで終わってしまうと[9]。細川が「相対化や客観性のこと」とまとめたこれらザラトのメッセージは,客観という観念そのものの存立基底にあるもろもろを追求せずには,言い換えれば,自分は研究者だといえるのはなぜかを絶えず検証せずには,対象の何も知りえないし,対象に対して働きかけることもできないよ,というまことにブルデューらしいものだった。

これらの話から,細川は「あれれ,言語や文化は,探せば発見できるような所与のものとして在るものじゃないぞ。日本語を発見する?,そんな風に考えてきた自分こそ,何をもってそんな風に考えてきたんだ」と,日本語や文化自体についてではなく,まずそれに接近しようとしている自分自身への接近法をここに発見しつつあったのでした。

ちゅう

1.2.4.ザラトの授業(後半):主観の話

つづいて授業後半は,主観についての問題へと進んでいく。ここでとりあげられた例は,誰となら歯ブラシを共有できるかという例の検討を通じて,「清潔」概念がどのようなものかを知り,そこから習慣や文化というものがいかに主観的に構成されていくか考えようというもの。

ザラトにいきなり「清潔とはどういうことか」と問われ受講者一同呆気にとられている中,細川は「〈清潔性〉の基準はどこにあるのか」ということだな,と,これがいわゆる2値分類問題(判別分析),つまりn個の特徴属性からなるn次元空間を清潔/不潔に2分割する判別関数を得ようというものだと判断している。この場合は,どんな属性を判断材料にしているかが問われていることになる。いったん判断材料となる属性を特定したら,どれだけ多次元になろうとも,これは清潔/これは不潔,と分け続けていけば機械的自動的に(当座の)分類関数は求められるので。ここでの問題は,とにかく何を清潔/不潔の判断材料にしているかを,よく考えようということ。授業でも,ハブラシの共有を例に,他人かどうか,夫婦かどうか,などいろんな判断基準があげられていった。

しかし,もう少し考えを進めると,最初から清潔/不潔という答えをもって分類するのではなく,どういういろんな経験や判断を同じ清潔というカテゴリーにまとめるのか,つまり経験の類似度からひとつの概念を得るにはどうすればいいのか,といういわゆるクラスタリングの問題として捉えることができる。ここで思い出すのは「醜いアヒルの子の定理」。渡辺(1978)によるこの定理は,どんな2者を選ぼうとも,共通する属性の数は同じ,つまり似ている度/似ていない度は同じ,というもの(普通のアヒルの子同士の類似度と,普通のアヒルの子と醜いアヒルの子の類似度とは同じ!)。

簡単に説明すると,あるグループが「太郎,花子,ジム,3人以外のみんな」から成るとして,太郎についての述語をA,花子以下それぞれB,C,Dとすると,このグループから見出せる述語は,(A),(B),(C),(D),(AB),(AC),(AD),(BC),(BD),(CD),(ABC),(ABD),(ACD),(BCD),(ABCD),(¬ABCD)の16パタン。つまりたとえば,(AB)なら「日本人だ」,(AC)は「男だ」,(BCD)は「太郎じゃない」,(¬ABCD)は「このグループじゃない」のような述語になってる。これら述語を共通しているほど似ているわけだから数えてみると,たとえば,太郎と花子が似ている点(=AもBも含む述語)は,(AB),(ABC),(ABD),(ABCD)の4つ。太郎とジムの似ている点も,(AC),(ACD),(ABC),(ABCD)の4つ[b]。どれでも同じ。これはどれだけデータセットを多くしたって同じことで,何かが似てる似てないは,類似点・相違点を数え上げても決まらないということになる[c]。つまり,いくら客観的に記述しきっても,いかなるカテゴリーもありえない,ということだ。

しかし実際には,あれとこれは似てるとか同じとか違うとかの判断を普通にできてる。ということは,客観的に公平に判断してこうしたカテゴリーを得てるんじゃなくて,なんらかの観点をなんらかの理由で重視したり軽視したりして得てるってことになる。じゃあどういう時に,どういう観点を,どのくらい重視したり軽視したりしてるのか。

これを機械に自動的にやらせちゃおうというのが機械学習の世界。最近だと,コンピューターにYoutubeのいろんな画像を大量に見せただけで猫の概念を獲得させることに成功した,というGoogle(2012)の研究で,Deep Learning(深層学習)と呼ばれる分野が脚光を集めて流行現象化してる。その計算原理は40~60年代からすでに提案されていたもので,神経細胞とその結合をモデルとした並列計算のアルゴリズム。沢山のデータから自動的に特徴を抽出して,その特徴群から類を求めるという学習機械(ニューラルネットワークモデル)を現代風にアレンジしたものだ。

(醜いアヒルの子の定理を思い出しつつ)機械学習が教えてくれるのは何か。それは,述語自体がこの世の偏りを反映したもので,すでにそれぞれ重みをもっているということ。たとえば,画像に何の偏りもなければどんな画像も砂嵐状態,だけど実際はどれも何らかに偏ってるから線とか色とかいった特徴(=述語)を取り出すことができる。さらにその取り出した線とかの特徴のどれがどのくらい重要か(=どんな組み合わせでどんな場合にどのくらい一緒に現れるか,とか)がわかってくると,ある画像のある部分を「猫」とか呼べたりしてくる。こういう学習機械にとっての「猫」と同じく,我々にとっての「清潔」にしろ「日本語」にしろ「日本文化」にしろ,これらはその人が経験する世界の偏りとその価値が可能とするものだ[d]

とはいえ,こういう特徴やそのあり方の中身や組み合わせは,とても言語で言い表せるような規模じゃない[e]。自分がどんな環境の偏りの下で生きているかは,経験の中に溶け込んでしまっていて気づくことはできない[h],いや気づけないどころか,環境の偏りを経験するとき,その環境の偏りとは違う,自分にとって意味のある偏りとして経験している[g]

ブルデューがしつこく明らかにしてきたのがこの,環境の偏り(統計データ)と,自分にとって意味のある偏り(実際の行動やインタビューで聞かれた話)とが,一致するものではなく,何らかの媒介概念を通じてしか理解できないということだった[i]。ザラトの清潔授業で挙げられた例も,その歯ブラシを使えるかという行動と,たとえばそこに観察される細菌量とには,直接関係を見出すことはできず,その人の清潔についての観念,その人が生きる社会のハビトゥスを媒介にしなければ納得できる話にならない,って。

一方,細川が馴染んだ国語学の世界は,なぜかこのデータの客観性について妙な信仰とでも呼びたい価値観がある(というかあった?[l])。厳密な方法で集めた調査データは厳密なるデータであり事実以外の何物でもない。法則は法則であり事実以外の何物でもない。言語という誰でも何とでも言えるものを対象にしているためだろうか,国語学者たるもの素人とは違うというところを見せるべく,データの緻密な読み込みによってそれを果たそうとする,そんな世界。しかしその緻密さはデータの内部へ内部へ入っていく読み方で,そのデータがなぜあり得るのかについてデータ外部との関係を見ることはない――それをやってはまさに『ことばと国家』の問題になってしまう,田中さんのは言語学じゃありませんねと言われておしまい。こうした国語学的客観信仰から,細川はザラトによって回心させられ,開眼した。

開眼した細川に真っ先に飛び込んできたのは,先の信仰対象「日本語」だった。細川の入信期である院生時代は,折しも日本語論・日本人論ブーム。多感な若き信者としては,素人の日本語論・日本人論を馬鹿げたものだと棄却して,ホンモノの分析によって日本語の本質に近づいてやろうという思いがあって当然だろう。そうやって国語学に携わる者として「日本語」の観念をどんどん強固にしていったのではないだろうか。しかし,あの用例カードの山をなぜ私は集めたのか,集めることができたのか,その分析結果は誰にとっての結果なのか・・・,ここにきて突如として自分の考察対象が国語学によって設定されているものとして発見されてしまった。日本語という対象を対象として切り出す境界を設定しているのは,国語学という私が学んだ視点なんだ,って思い知っちゃった。

こうなると,日本語は,それは何か,ではなく,それはなぜそれたりえるのか,という問いの対象となる。日本語という「境界が,実は自分の意識によってつくられたものであることを認識することから,すべては始まる」(p. 23)。つまり,日本語を想定するとは,自分の意識という,歴史的・社会的に構築され続ける,環境と自己との媒介としての理論=私,を問うことに他ならないことだって[k]

では,そこから「日本語」教育はいかに可能となるのか。少なくとも,国語学が設定する境界を理想として,学習者をそこに封じ込めるのを日本語教育だとすると,それは「暴力であるとさえ思われる」。とりあえず本章では,「他者の内在化」とか,「言語活動の相互作用」を考える,とかモヤモヤと書かれているのみだが,心配無用。次章「第3章 日本語教育学のめざすもの」でちゃ~んと説明されましょうョ。

ちゅう

おまけ:小ネタ

「境界」がらみで小ネタを一つ。

糸魚川言語調査(1957)の際,指導的立場にいたW.A.グロータース神父が,柴田武・徳川宗賢らに教えたのは,調査結果を白地図にスタンプを押す,という記録方法だった。これまで言語調査といえば白地図を塗る,という区画論を目指すものだったのに対して,目から鱗ものの方法論だったという。有限箇所を点々と調査した結果でしかないのに,なぜ塗りつぶすことができるのか。そこにはものすごい解釈(人がこう移動してこう交流しているはずだからここは同じ/違う色の区域…のように)が必要で,いったん解釈してしまえば議論の余地はなくなってしまう。他方スタンプなら,どんな境界をどう引くのかなぜ引くのか,その理論をめぐって議論が可能となる。ここに言語地理学の発展の可能性が芽生えた,という話。村々を訪れて調査していくととても気軽に塗りつぶしてしまうことなどできなくなる,そういう調査者の実感に即したこの方法論のエピソード(柴田,徳川,加藤,1975)は,理論と調査実践の融合的関係とその客体化を徹底重視するブルデューを思い出させる話でした[a]

ちゅう