カナダの同化政策
ブチ殺しまくったり,強制収容したり,めちゃくちゃやってきたのに,88年の多文化主義法はじめ今や多文化共存バリバリなのは,なぜなのかしら。
英仏二文化主義が源流にある上に,移民の民族居留地がモザイク状に発展したため,同化より「多様性の中の調和」による発展を求める雰囲気になって,さらに60年代の移民ポイント制導入によって国籍・人種云々より国の未来に寄与できる人を移民としたことで「移民こそ国の未来」観が定着したという感じかしら。
以下,闘争史2例。
日系人
1880sより和歌山からを中心に移住始まる。漁業・造船・缶詰等水産業に従事。滋賀の水害やらもあって,1890sより契約移民(鉄道保線工,炭鉱夫)始まる。07年移民に対しパウエル暴動,レミュー協定で移民制限へ。
ほとんどはBC州居住。開戦と同時に,漁船押収,指導者層逮捕,新聞停止,学校閉鎖を実施,42年からへースティングス・パークの畜舎へ集め,がんばり組など反抗空しく家族を離して収容所へ強制移動・重労働。43年から財産売却処分。戦後,追放し市民権剥奪も,49年に帰BCを許可。以後40年NAJCはじめいろいろ闘って,88年にリドレス(戦後補償)合意で賠償とマルルーニー首相の謝罪。22年にはBC州がJCに1億ドル補償。
現在の「カナダ人とはだれか概念」の形成に大きな影響を与えただろう歴史。詳しくは日系センター(バーナビー)で。
原住民
18Cの欧州人到達以来,入植者はカトリック的発見の教理に基づく「無主地(Terra nullius)の法理」による土地所有権を主張した一方で,1763年宣言はじめ条約締結による合意形成が所有権含めあったが,19Cになると,漸進的文明化法や,ポトラッチ禁止などのインディアン法改正など1867年建国時より植民地主義にヤられた。
寄宿学校
原住民とその文化消滅を図るべく寄宿学校制度を政府・教会で企図,96年まで約120年実施。50s結核で大量死。15万人収容6,000人死亡。70sより教会が反省・謝罪,1998年政府謝罪,2008年首相謝罪,2018年UBC謝罪,2021年オレンジシャツデー祝日に,22年教皇フランシスコ謝罪,以来10兆円規模の補償が続いているように,ガチのガチで反省して未来を拓こうとしているのがわかる。他方,イギリス王室は謝罪しない。